万教同根

 これからは万教同根でいく。
(『新月の光』「万教同根」 日本タニハ文化研究所)

戦後、大本が愛善苑の名で活動を開始するにあたって、王仁三郎はこのように指示しました。

事実、愛善苑設立趣意書(昭和21年2月7日)にも「いずれの宗教も時代と民族に応じ発生発展したるものであって、形式は異なれ万教は同根であり真理は一である」という文言が見えます。

ただし、すべての宗教が同じという意味ではありません。元をたどれば一つの同じ神の意志から発しているということです。


王仁三郎揮毫「瑞」

祖先が同じでも子、孫、曾孫等、代が変われば全く似ないものができるのと同じように、宗教も様々な要因によって色々と枝分かれし、その教えにもおのずと深浅広狭があります。

ましてや反社会的な宗教は同根とはいえません。万教とは「愛善の教えを説く全ての宗教」という意味ではないでしょうか。

厳密に言いますと、王仁三郎は「諸教同根」を説いています。(『霊界物語』第6巻23章「諸教同根」。なお、大正11年の初版本では「神儒仏耶の同根」と書かれてありました。)神道、儒教、仏教、耶蘇(キリスト)教から派生した、あるいはそうした教えをベースにした宗教が非常に多いことから、王仁三郎は「万教(諸教)同根」という言葉を使用したのかもしれません。
キリストも釈迦も孔子も哲人も弥勒出世の先達なりけり
(『東の光』 言華(一二))
以下は、『新月の光』からの引用です。

○万教同根 出口王仁三郎聖師 揮毫

大本者曰六合弥勒

  大弥勒尊像 富士の絵
神道者曰惟神

  天照皇大神 伊勢の絵
仏道者曰皈一 (分かれている物が一つに帰着すること)

  釈迦尊像
儒道者曰精一(もっぱら。専一。心が細やかで一すじなこと。清粋純一)

  孔子尊像
老道者曰得一(絶対の道を得ること)

  老子尊像
耶道者曰抱一(一をいだき守る。道をたもち守る)

  耶蘇尊像
回道者曰守一(心を専らにする。一事に専心する)

  マホメット尊像

 天恩無極 王仁
(昭和十年以前)

 註 =( )内は編者が諸橋漢和大辞典から引用





王仁三郎制作の耀碗「桃源」