愛善と愛悪

王仁三郎によれば、愛には愛善(あいぜん)と愛悪(あいあく)の二種類があるそうです。

愛悪とは自己愛のことで、愛の対象が自分に向かっています。
一方、愛の対象が他者や人類ばかりか、動植物や鉱物といった人群万類にも向かえば、その愛は愛善です。

以下、王仁三郎の言葉を引用します。


城崎海上飛行場にて
 世の中に善というものは愛より外にない。最も力の出来るもの、総て成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハメッドは愛を説き、仏教は慈悲を説き -- これも愛だが孔子は仁、仁ということは隣人を愛するということで、仏教もキリスト教も愛を経に、善を緯に説いている -- キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に、善を緯に説いている。人類愛善ということは、各既成宗教および今までの道徳教の総てを一つに纏めた、まあ、言うたら抱擁したのだ、肝腎のエキスをとったような名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が、愛と善なのだから
(『出口王仁三郎全集』二巻「神霊問答」)
王仁三郎は大正14年6月9日に「人類愛善会」という団体を設立しています。その名の「人類」とは「人群万類」の略で、人だけでなく動植物や自然も含みます。この団体名には人群万類に神の愛に近い「愛善」を捧げようとの趣旨が込められています。

昭和10年12月8日の第二次大本事件で国家から激しい弾圧を受け、もはや地上から抹殺されたと思われていた大本は、戦後まもなく新発足しました。その際に王仁三郎が付けた名前が「愛善苑」でした。囲いがある「園」ではなく、広々とした「苑」が選ばれたのも、人類同胞・万教同根の大義が反映されているからです。



宮城県 鹽釜神社前の王仁三郎一行(『東北日記』より)